ありそうでなかった物の見方

ここのところ状況が安定しない、ただランダムでそうなれば仕方がないところがあるが、誰もがいつも読むもの見るものがなく、様子や力関係を観察している。それでもどうにも良心だけの状態にならないことがあるという。それは一種の緊張疲れかもしれない、ミスやそれ以外の得るものについて常に何かをドキドキハラハラしていなければならないという状況はお互いにとってあまり生産的でないように思う。
かつて、恋愛がしたいと言っていたけれど、今までの延長線上には得るものがなく、勝負に出たいと考えたためだろう。それが既婚者でもそう言ったハラスメントの傾向がある。それとは別に、クリエイティビティを形にすることを、恋愛と出産に例えるというマスメディアに特有な現象がある。それでも、作品が売れないという、なぜ売れないかをクリエイター塾で議論するということも案として上がったという、それでも編集者同士の自費出版になるとそれ以上に共感性が薄くなってくる。
近所でもネズミ講があり、少々気分がブルーになった。それでもかつて、たこ焼き屋で話したことや、講義をメモしたことなどはいまだに覚えている。僕はその時は人前で話すことが慣れておらず、そのまま謙っておけば無難にことが治ると思っていた。隣の人もそれを支援してくれていた。ところが、ベイマックスの映画を見たときに、テンポが早くて全体のクオリティが高かったので、後でゆっくり見れば別の見方もできるかもしれないと思っていたが、彼は、ラストシーンで仮面をかぶった悪役と、人質に取られる出資者の構図がはまったようで、世の中はまずお金と立場だと譲らなかった。かといって、それでそれを真っ向から違うとも言えず、じゃあ僕なら損得を抜きにして、相手を説得できるようなというと脇が甘いのかいいところで捲られる。そうでなく、そもそも教授が人の悪口を言うシーンがアニメでも嫌悪感があった、容姿が多少よければなおさらその影が怖いと言う。それでも風船が駆動部分を優しく包むと言うコンセプトはありそうでなかったもので、マンホールの蓋にもそのデザインの一端がある。それにしても色々と既視感があるグラフィックが高速で流れるので、どうしても苦手な部分やトラウマになっている部分が傷口に塩を塗ったように印象に残る。それでももしその傷がなかった、または塞がっていたならばそれは別段無害で中立的だという見方もできる。
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しなやかな心

もともと、引越しを繰り返してどこにいっても根無し草のようだった。
目標を分かち合う知人もいない。組織の競争意識が働き、目標が理想化することがある。なるべく一人でできた方がいいけれど、そうでもない部分もある。
僕を分けてみると、社会的な役割は固定化されていない。誰かに頼る一面もあれば、自分で歩くこともある。意固地になると、上手くいくものも上手くいかなくなる。
僕の場合は、笑顔を作る頰がのっぺりとしてしまうようだ。自然に笑えたことはあまりないのかもしれない。世の中と折り合いをつけながら、一人でも多くの人が幸せになればと思う。我慢やしんどさに囚われると、何もできなくなる。それでも僕は、そこそこには動いていた方だ。誰かを動かすより、誰かのために動きたい。それだけでは、計画性がなく、持続性がない。そっと自分を労わりながら、政治にも経済にも目もくれず、雨が降れば、雨宿りして、できることを少しずつ増やしてゆく。
受容ということが誰にとっても辛いことのようだ。相手を受容することで、その上に立とうとすると上手くいかない。かといって、そのまま受け入れても負担が増えるだけだ。制度として、過労や奴隷は無くなったものの、精神的な苦痛は癒されることなく残っている。失っても形はない、それでも前を向いて歩いていく。
それでも何だか、やりきれない気分にさせられる。他人の苦労を受け入れることはとてもしんどい。でも、そこから少しずつ悩みを解いていく必要がある。
相手をどうにかして出し抜こうとするようになる。競争は終わりがない。今の世の中では、おそらく優位に立とうとすると揺り戻しがくる。定点観測して、変化に対応して残ったものに継続的に向かえているかを振り返る必要が出てくる。
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