変化と調和

環境が目まぐるしく移り変わるためか、会話が追い付かないことがある。それが自分はこれくらい頑張っているのに、他人はという比較にならないようにできればと思う。僕はボーっとしていると、ギクッとはくるけれど、できることは対応するつもりだった。日が浅く、人間関係がまだ馴染まないこともあり、できるはずのことができないこともある。目が回るようであたふたしていたり、不自然にボーっとしていたりと、攻撃的ではないけれど、調和がとれていない状態のようだった。しかしながら目的もないままに、修行のような日々を送ることは、無難ではあるけれど、主体性がない。誰かから認められなければ、自由に過ごすことがままならないという状態でも、なんとか、できることを模索していきたい。

僕はべつに調子に乗ってはいないけれど、どうにも上手くいかないこともある。できれば温和に過ごしていきたいと考えている。こちらのミスもあったけれど、機嫌が良くなかったのか、当たりが強かった。そういう時期もあるとして、やり過ごしていきたい。それだけ頼りになるのかもしれないと考えられる。書いたことをそのまま暗記できるわけでもないため、文意をすこしずつ実践できるような工夫を、少しずつ実践していきたい。または具体的に頼まれなくても、事前にソツなくこなせれば関係性の改善になることや、なるべく正解が判断できた方が、効率が良くなることなど、そのグループになかで共通で覚えられることがあれば、おざなりにはしていないということが伝わって、状況は改善されるかもしれない。指摘され他ことを他人事だと思っていると、気持ちが伝わるものも伝わりにくくなる。とはいえ、親切さを示すことが僕の努力でなるべく補えればと思う。

相手がいない状態でなんとかこなそうしているのも取り方によっては独り言になることもある。物理的な準備だけでなく、形がないけれど確信できるような要素が感じられるケースもある。とはいえ個人的にはそこまで勘が鋭いわけでもなく、勘違いもたまにある。なとはいえ突発的に幻聴が聞こえることが最近は少なくなったこともあって、自分の中では状況は少し良くなっている。ここのところプログラムの学習という意味合いも含めて、mineCraftの組み立てが続いていたが、これからは日々の中で気が付いたことや、できないなりにも工夫できることなどを書き綴っていきたいと考えている。マニュアルの文章はそれだけでも文字数があるけれど、長い文章にするには、箇条書きでも可能になる。Web制作の事務所にいたころは、メールの断片的なことを、直接会って話す必要があるように伝えることが、ビジネスの上では大切と言われていた。メモだけでなく、パソコンで文章が綴れるようになると、意図して誘導するようなメッセージもある。そういったときに、もともとの意味をくみ取れると悩むことが少なくなるという。それだけメッセージはいろいろなタイミングで送られていた。継続することがなにかの経験を疑似体験することに繋がればと思う。

続きを読む 変化と調和

自ずと動くためのきっかけ

パソコンが無かった時は、自動販売機やレンタルビデオ店のバーコードやタグが、日常で垣間見えるシステムだった。自動販売機は、缶を保存する冷蔵庫と、秋・冬には温まる保温庫のバックボーンに加え、小銭を選り分ける枝分かれの仕組みなどが挙げられる。実は自動販売機はとある村では、機械でなく野菜がカゴに乗せて置いてあるだけで、それを無断で持ち出す人もいないという。しかしながら、ただ相手の良心に寄りかかることが自分の適応力を鈍らせてしまうこともある一面もある。システムやスマートフォンの仕組みは複雑化する一方で、それを故障させてしまっても、かつてのテレビやラジオのようにアンテナやコードをどうにかくっつけ直すというケアがしにくくなっている。

ファミコンなどは子供の頃は、カセットテープの基盤の接触をよくするために息を吹き掛けて直すということもあった。ファミコンのカセットはそこまで大切にはできなかったが、それでもそれが唯一の遊び道具だっただけでなく、社会が工業からサービス業に移行する中で、自分なりに現状を読み解く手がかりでもあった。それでもそこで特に大きな記録も出せず、クラスでもそこまで勉強ができるわけでもなかった。Windows95は、街角のパソコンショップでも体験でき、ソリティアやアリーナを学校の帰りに遊んでいた。また、中学校のコンピュータ室にあるフロッピーからBASICで線や動きをつけて、ちょっとした電車のイラストを動かそうとしていた。

パソコンはどちらかというと、人とうまく話せない人が代わりに社会と繋がる手段という感じで、ファミコンでも根を詰めすぎると、無性に散歩がしたくなる。日本の萌えブームも、どこから発祥したかわからないが、女性の目が大きく、スタイルも良いという様式美になっていた、それには人形浄瑠璃や歌舞伎の女形などのノウハウにも系譜があるのかもしれないが、それでカメラも持っていなかったのに、スマートフォンを手にしてからデジタルカメラが取れるので、それを日付と、そこに5W1Hの状況を記録するように、シャッターを押す。実際にはカメラはピンホールから見える網膜を模した仕組みになっている、ビデオはそれを時間に合わせてコマ送りにしたもの。人々の営みはシステムとは別に、その人に合わせた事情がある。それをヒアリングする事は、相手が敵意を持っていなければ、とても有意義になるが、もし自分がそこまで合わせられなかったとしても、理性的に話し合えるようにケアする事は、自分がたとえうまくいなかったとしても有意義だと思える。

続きを読む 自ずと動くためのきっかけ

まだらな心模様

話が噛み合わないというより、もともと嫌がらせをしたくてという人もいる。嫌がらせをするだけのスキルがあるので、それをどうだを言ってみたい。それもある程度物分かりが良く、世間知らずで、自分なりに公平だという価値観を持っているようなボンクラに、自分たちの挫折感を味合わせてやりたいという。僕は何かを間違えることはあっても、挫折したとは思わない。ちょっとつまづいたくらいで大げさな奴というくらいで。それでもまるで婦女子のような、お茶目なところもあるんだと、少し新鮮な気分ではある。

もし僕が筋トレなどのエクササイズをしていたとしても、それを見ている人が怖がってとか、負け犬の遠吠えをしたという風にツイートをするのは、なんだか、手段が目的化している気がする。別に重いものを持ったり、持久力を保つためにトレーニングをするなら、それが関係者に喜ばれるようにすればと思う。ある時、質問すると最近では苦労を前面に出すことがカッコいいというような風潮がある。少しでも相手が遊んでいると、それが鼻につくという。それはそれでストイックで良いことだと僕は思ったけれど、よくよく考えると苦労は負担を相手に押し付けるためのマスクのように使われている。そこまでマウンティングの題材にされてはと思うけれど、例えば会社でも一緒に協力したり、タスクをこなしたというより、誰それが抜けたということが、誰それと関係ない人の良心に訴えかける心理効果がある。そのようなテクニックを持っていても、その人が表に立つことができない場合もある。

誰かの持ち物が羨ましいと思ったことが人なら誰でもある。かつて中学校の学生のグループが、街で手持ち無沙汰にしていると、リーダー格が、勉強は苦手だし暇も自分の存在意義を磨くことがなさそうなので、アルバイトをすると言っていた。そのときから居場所を確保するためのスキルがグループの中で芽生えていたのかもしれない。僕は別にそうでもなかった。仕事は社会のためにすることで、それが何かに貢献できればと思っていた。一方で、漁師町では牡蠣の殻を剥くのが手速いなどの専門的なスキルが巷に存在する。もし食料を確保するという目的のためのそのような作法を身につけなくても、何かで代替できるかということと、職人的なスキルを否定することはまた要件が異なっている。実のところ、誰でも階級を作ってその中でコミュニケーションを取ることはある程度習熟するが、本来自分が何をしたいかということが分かりにくくなり、それでストレスも溜まる。経営者にしても信頼できる部下が自分のやりたいことができていることは稀で、望まぬものを与え、望むものを取り上げるというバランスから心理的に相手を載せている場合もある。利害関係を抜きにしても社会人になってからは友達ができにくいというところはあるのかもしれない。一方で子供の頃は、なるべくイジメられないように自分にないものを懐柔しようとしていたという側面もあり、友情も純粋とは限らなかったというところもある。社会的には優しいだけでは信用できず、悩みも解決しないとあるけれど、それで相手に親切にしないことが標準化されると困ったことなる。よくよく会話を聞いていると、誰でも何かを判断して裁こうとしている。もし否定された側がいれば悔しいかと思えば、別の相手にそれを行う。それでもそこまで何かを利用したり、否定しなければ日々やっていられないようなことがあるのだろうかとも思われる。もしそこで標準語ができたら、おそらくお互い何も言わないのかもしれない。

続きを読む まだらな心模様

見たことがないことを推し量る

それぞれに目標はあるけれど、ものごとの基本は実際に会って話をすることだという。またそれぞれの年代や、性別、置かれた状況にもよるかもしれない。苦労はあるところを超えると、他者を戒める呪いになる、それもある種のブランドをしょってのことだった。誰しも有名になりたいし、ある種の安心もしたい、そう言ったところを時になだめ、またあるときは脅し、またあるときはと会話には色々な方法があるようだ。それでもいかなる時でも、なるようにしかならない。いずれ、迷惑の掛からないコツがわかってくればと思う。上下関係があると競り合いがうまれず、対等だとトラブルになるという考えが、それを読んで状況に応じようと思っているより早く、環境が組み変わってしまう、影響力がものごとを伝えるベースにはなっている。そう言ったところで、何かできることはないかとまだも諦めずに様子を伺う。
何かの専門技能が身につくことと、それを共有することは一致しない時もあれば、一致する時もある。その道筋を辿っていくことがやがては経験になる。その日、その日でやることが変わってくる。その対応力に助けられている。通常の仕事であれば、自分が関わることで周りがより良く動ければ良いけれど、長い視野に立ってみると、協業するためのアイデアの共有もしていきたい。以前よりSNSは大人しくなったものの、やはり誰しもが何かと戦い、競い合っているような気がする。そう言ったところでどのようにそこに順応できるかが、課題にはなってくる。ウェブとロボット開発にはどのような共通点があるだろう、また、システムに人道的な特長が必要だとするとそのことで、ユーザーと開発者、また関わるグループがやり甲斐を感じられるようになるだろうか。と考えて見たくなる。インターネットが広まる以前から、自動化や大規模化は進められてきていた。図書館の蔵書のバーコードや、レジの検品など色々なところでシステムが動いている。そう言ったなかで、一消費者の立場から始まって、周りが納得できるような仕組みはどんなものかと改めてそのコアの部分をイメージする。
続きを読む 見たことがないことを推し量る