布マスクと散策

布マスクが店頭にひとり一点だけ買うことができた、メーカーはシュガーフェイスというとなりの墨田区の衣服のメーカーのようだ。薄いガーゼを十数枚重ねたマスクで、使う前に洗って水に漬けると、ガーゼが水を吸って重たくなったようで、干して水を乾かすことにした。紙製のマスクやウレタン製のマスクは水に漬けてもそこまで重くならなかった。ともかくもともとは繰り返し使える布がミシンで塗ってあったものが街のスーパーマーケットに並んでいるという風景は少し前から続いてきた。

4月には紙のマスクを繰り返し消毒スプレーで除菌して、水で濯いで付けながら乾かして繰り返し使っていた。繰り返し使えるマスクをamazonで見つけて、数枚を購入しようとするが、政府のマスク給付と時期が重なるためかなかなか配送されないまま数週間待ち続けることになった。中国のjd.com京东で見付けると、日本国内への輸出は税関を通るために注文から数週間かかるという、商品のパッケージが日本語の表記があった。すると翌日には知り合いが、街を散歩しているとスポーツ用品店で、ウレタン製のマスクが売っていたというので分けてもらった。紙製マスクに比べて水で洗っても濡れにくくなっている。

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電子書籍と立体モデル

防水対応のスマートフォンを探していたが、バッテリー容量やOSなどの兼ね合いでなかなか見当がつかない、スペックを確認するとkindle paperwhiteが防水対応だったようで、まずは台になる、風呂場の蓋をフラットで物を載せられる板状のタイプにすることにした。そのようにしてバスタブにお湯を貯めて、電子書籍の画面を手ぬぐいで拭きながら見ることにした。電子書籍のタブレットは防水対応ではあるが、ページをめくる動作は手が渇いていたほうが動かしやすかったためだ。2016年に中国製の表が液晶画面で、裏がE-inkのYotaPhone3を持っていたが、OSのアップデートで動かなくなって以来、スマートフォンは液晶ディプレイに特化し、E-inkはamazon Kindleが受け持つことになった。かつて1つだったスマートフォンは表と裏に分かれた形になる。Appleでさえ、液晶ディスプレイの大画面化にシフトしている。スマートフォンのライバルは電子書籍でなく、デジタルカメラの方になりそうだ。とはいえ、スマートフォンでもカメラを遠隔操作することは、手に持つデバイスであるので、対応しないかもしない。ともかく、お湯が溜まってくると、大分温まってぼんやりしてくる。初めて風呂場で読んだコンテンツはこちら葛飾区公園前派出所になりそうだ。存外風呂が熱く、1巻あたりの1話か2話をよんだところで、のぼせてきた。とはいえ、動画とことなり、ページをめくる動作が自分のペースでできることが、電子書籍の良さだと思う、紙の媒体でも、風呂場の蓋を布巾で拭けば多少紙面がふやけるくらいで、読むことはできそうだ。

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電子書籍とライトノベル

ソードアートオンラインのアニメはabematvで繰り返し見ることができたが再放送も何度見ても新しい発見がある。ふとその最新のノベルを電子書籍で購入しようとすると、スマートフォンのkindleアプリからは電子書籍が購入できないという、そこでE-inkの白黒のkindleを開くと数週間たっているがバッテリーがまだ残っている。図らずも電子書籍で新書を読むきっかけになった。2019年10月のアニメではアリシゼーションの第三クールがあるが、ノベル版の21巻では、ユナイタルリンクというRPGにシュミュレーションの要素を付加したものだ。いままでのエクスカリバーやら魔法剣の設定がリセットされLv1に戻ったというのはどうにも妙だけれど、ポケモンGOやドラゴンクエストなどの空想の産物は現実にはない、ものづくりの成り立ちを辿るという意味では初心者にも敷居が高くない。モンスターハンターでも装備がない状態では、アオアシラという熊でも強敵だった。または装備を経験値とそれにつぎ込んだ時間とお金と労力から、レベルや専門知識を上げたとしても、ゲームの難易度によってはやはりモンスターは人間にくらべるとステータスが高く相対的には弱くならない。

アリシゼーションは、不思議の国のアリスという童話と、シヴィライゼーションという文明シュミュレーションゲームを組み合わせた造語だ。シヴィライゼーションは、序盤では石や木をひたすら収集して、周辺部族と戦わず準備だけをするどちらかというと内向的なゲームだ。農耕でも製造でも鉄が産業化のカギになる。実際にインドネシアで砂鉄から玉鋼を鋳造して、工具やネジを作ったという探検家もいるそうだ。日常にはネジや釘などの物理的な道具でさえ、それがどのように作られたかを実感することが少ない。それにしても、液晶技術が4K高画質に、AR(argument reality)などの拡張現実などの絵のなかの風景を探検できるようになっているのに、できることが前近代的な段階を再現せざるを得ないのは、なにかのパラドックスのように思われてならなかった。電子書籍には再生ペットボトルで熱加工された下敷きを、次のページをめくる動作をするために指でなぞる。あまり意味はないが孤を描くようにページをめくる。

アリシゼーションの仕組みは、どちらかというと空想の風景をコンピュータで描く仮想現実VR(vitual reality)というより、AR拡張現実に近い。骨組みを作って、そこに写真を奥行きを付けて貼り付けていく。おそらくそちらのほうが少ない労力で世界観を再現できる、またはそうせざるを得なかったという事情があるかもしれないが、ともかく空想にある風景にも現実のオブジェクトが引用されることはしばしばある。冒険する舞台になる空や海、山や川は、厳密にはオリジナルでなく、どこかにあったかもしれないからこそ、郷愁が再現されるということもある。

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電子書籍と文庫本の思い出

中国独自の目に優しいdisplayをもつYotaphoneがバージョンアップすると、macBookのUSBで認識しなくなってしまった。それでも充電はできて、E-inkでも節電モードで電子書籍を読むことができる。そこで漫画が表現力と一覧性に富んでいるものの、例えば大元の歴史書として史記がKindleになっている。史記は伝説が歴史に変わる起源を、時には民間の伝承から、またある時には、当時の中国の一族の伝記からその大元の歴史を想像して書かれたものだという。漢文では鴻門の会などの京劇でも敵と味方に分かれてそれぞれがパフォーマンスを行うという形式になっている。漢書は高校の時に興味を持って読んだことがある。Kindleには在庫がなく、図書館で文庫本のサイズで読むことがとても貴重な行為になっていることに驚いた。もともと文書はすだれ状の竹の束に小刀で削って記録されている。日本では和紙、エジプトではパピルスという繊維状のものに記録が残されたという。

Androidのバージョンも最新のwindowsに搭載されるものも5.1版の安定版がインストールされるようだ、パソコンに比べるとOSがあまりアップデートされにくい性格がある。アクションゲームをするにしても、すでに4.xくらいでかなり動きのバリエーションが充実している、例えばUnityでは今までのアニメーションを再構成するようなパッケージが開発されている。それはそれで表現の幅が広がって可能性が広がりそうだけれど、一方であまりメモリや演算能力が無かった頃に世界のことをよく知ろうとして、その片隅で作られたようなものがレアになることもあるかもしれない。

秋葉原の駅前にあるアトレのショッピングモールにも東方シリーズのpixivの人気絵師が書いた絢爛豪華なイラストもその原典のwindowsソフトには、手書き風の童心に喚起するようなCGから想像するしかなかった。もしスマートフォンに東方シリーズの第1作目が移植されば、隙間時間でも飽きることがなさそうだけれど、実際には例大祭などの国際展示場での催しでは、なぜか旧型のwindowsデスクトップパソコンがセットアップされて、そこで実際のゲームが再生されるという儀式のような手順が行われている。

人気に振り回されることなく、物事のあり方を自分なりに確かめたいと思うことは実は、傍に人がいないように振る舞うようで自分勝手なことなのだろうか。というふと気がかりになることもある。それでもそれはあくまで仮説であって、そうあるべきというように正義感が傾くようなことに客観的になれることがある。

史記と漢書は中国の原風景を表しているように思える。お茶碗の形も、卓上にあるしょうゆ差しが試行錯誤を経て作られたように、手の形に馴染むように形が決まっている。もしかしたら3Dプリンターでもお茶碗を作るような時代がくるかもしれない。そうなると河原に陶器のカケラが景色のようのなっている中国の一地方の素朴な魅力が幽玄なものに感じられる。中国でも日本でいう無印良品が普及するという動きもあるけれど、無印良品は西友の家電に白いペンキを塗ってリデザインしたものが元になっている。その起源は、壊れかけていてもまだ使えるCDラジカセやにあった。それが伝統的な家具や、自然と調和するように形を整えることで、ありそうでなかった生活様式が想起される。例えば3Dプリンターでネジとボルトや、ペットボトルのキャップと容器が作られるようになると何か入れ物を持つことが、中身を保存するだけでなく加工することの意味を知ることになるかもしれない。

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限られた環境の中で感動したスマホゲーム

地下鉄では、フランの夢は睡深36,000歩がもっとも達成度が高かった。
iOSでpocketAPIと連携して、ニコニコ動画にログインしながら、通信が速度がトンネルに差し掛かっても継続できるようにして見た。PRGゲームの仕組みとしては、元々の東方シリーズを彷彿とさせるが、シューティングゲームではポーズを押さない限り、画面が動き続けてしまう。その中で、弾を避ける行動を音楽に合わせてパターン化するというゲームだ。睡深36,000歩では、眠った後の幻の世界をスキューバダイビングのように垂直に潜って行く。地下鉄では、ディズニーのツムツムや、モンスターストライクや、グランブルーファンタジーなども隙間時間で楽しまれているようだ。以前に比べると新聞を持っている比率が少なくなった。僕は、ゲームのポイントがなくなれば新聞を読むようにしている。新聞ではオフラインではPDFの形で見ることができる、それでも次の記事を読みたくなった時に限って、通信が切り替わることもあり、マーフィーの法則じみたジレンマを感じる。睡深36,000歩は、もともとは東方紅魔郷のエキストラステージに閉じ込められたフランドールというもう一人の主人公キャラクターを眠り姫に見立てている。グリム童話でいうと「眠りの森の美女」になるのかもしれない。100年間の眠りではないけれど、深海の36,000フィートに達するまで没入するという禅のような集中ができる。このゲームをやっているときは、煩わしいことを考えずに済む。放置系というジャンルがある。元々はPSPなどの携帯用ゲームで、ログオフする前にタスクを当てておくと、次にログインした時にお遣いを済ませてくれるという機能があった。元々はたまごっちのようなバーチャルでペットを育てるガジェットにストーリー性を感じたからなのかもしれない。僕などは、FF7が発売してもすぐに買うことはできなかったが、セーブデータのカードリッジにあるデータでもたまごっちのようなことができると聞いて、かなりワクワクした。それが東方という個性豊かなキャラクターを同人作家の人が気持ちを込めて生き生きとした感じになっているのでとても自主的だ。
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